走り出した

妻も育休期間を経て職場に復帰し、子ども2人と、共働き夫婦の生活がいよいよ本格的にスタートしました。

朝をいかにスムーズにこなすか、育休期間中にシミュレーションしてみたところ「それ、ほんとにできるのか?」と思うような状態でしたが、いざ平日がスタートしてみると、夫婦揃っての5時起きから、子どもが起きてくるまでの各自の動き、気まぐれに目を覚ます子ども2人への対応など、日々その動き方は刻々と変わってくることが分かってきました。

5時起床というのは自分にとっては、就寝時間の実情からすると睡眠不足なのですが、朝の流れを考えると5時に起きないことには何もかも詰まってしまう。それなら5時に起きても爽快に一日のスタートを切れる「何か」を用意することが一つのポイントと思い、ここで今回のタイトル、

「走り出した」

に行き着きます。朝のランニングを始めました。

ここ数年の自分にとってのスポーツといえばもっぱら週末の自転車で、ランニングはたまーに気が向いた時にしていた程度でした。ランニングの時間帯も仕事を終えて帰宅して21時過ぎなどの遅い時間。以前は帰宅後子どもの風呂入れ、寝かしつけをしてから、夜な夜な一人走り出しにでかけたこともありました。なぜ風呂入って間もなくまた汗かきに走りに行くんだと自分でも思っていましたが、そうでもしないと走りに行くことができなかった。

できなかったというのは間違いで、いつでも朝走り出せばよかったわけです。妻の仕事と、子どもの保育園登園に合わせる形での朝の過ごし方の変化に、ランニングはしたいもののやるべき時間がうまくハマらないというかねてからの課題がカチッと組み合わさり、ランニングの習慣が毎日の生活にうまく組み込まれたのでした。

STRAVAでログをとって見返すのが好きなくらいには、データを眺めて振り返ることとスポーツとの関連を楽しむ趣向もあることはあるんですが、自分はやはり体を動かして汗を流すことそれ自体と、一人の時間を作ること、この2つが、サイクリングとランニングに共通して快感なのかなと考えるようになりました。

サイクリングもランニングも上記のような共通項があるものの、やはり時間が許せば自転車を楽しみたいという気持ちは変わらずあるのですが、ランニングを習慣化して思う、ランニングの最高に良いところは、その身軽さにあると思います。当たり前のことを言っていますが。

Tシャツとランニングパンツ、ソックスにシューズだけですぐ出かけられる。サングラスくらいはプラスしますが、やはり準備の楽さ、身体的な身軽さは自転車と比して圧勝。

自転車も身軽に走ることを信条としているのでなるべくあれこれと持ち歩かないよう工夫はしているものの、自転車はヘルメット、グローブなどの自転車ならではのウェア類に加え、パンク修理用のキットなど、最低限用意しないといけない携行品も多いので、準備片付けがやや面倒。

サイクリングだけだった時には、雨が続くと乗れなくて悶々…、他に体を動かす術もないし、仕事も忙しくなってくると気が晴れなくて…というところでしたが、ランニングは多少の雨でも気温的に寒くなければいつもの身軽さで走り出せるし、中止・延期にしなければならない場面が比較的少ないというのも良い。

日々の生活の実情からすると自転車は毎週末走れるわけでもないので、自転車が乗れる時にはある程度の時間を確保して存分に楽しむように。自転車は体力アップなどのフィットネス目的とせず、その目的は日々のランニングで叶えるようにする。ランニングをベースにした体力を自転車での登坂・ロングライドにフィードバックして、たまに楽しむ自転車で体力的につらいということがないようにする。

ということで、ライドとランの相互関係をうまく噛み合わせていければと思ったこの2週間。おそらくこの先直面する問題は、高頻度に走り始めてどこか痛めたりしないかというところ。ランニングと比較して自転車の良いところは体への負担が小さいところなんですよね…。ランニング前後のウォーミングアップ、アフターケアを入念にやりながら、長く続けられる習慣にしていきたいと思います。

一人旅のススメ

2人目の子どもを出産後、育児休暇に入った妻の休み期間もいよいよ終盤という頃。妻に育児から離れて自分と向かい合う時間でも設けてもらえればと思い、温泉宿への一人旅を勧めた。

そう思ったのは4月に実家の青森に久しぶりに単身帰省した時の経験から。家を出るなり1人の身軽さを感じ、完全に自分1人だけでの行動がとれることについつい浮足立ってしまったのだが、新幹線に乗り込もうと仙台駅に着くなり、ちょうど自分の子どもたちのような年頃の子連れ家族の幸せそうな休日の風景を見て、旅の序盤、即座に寂しい思いをしたのでした…。

話が逸れたが、子どもたちと妻と離れることでかえってその愛おしさが増した、この感覚を妻にもぜひ感じてもらいたい!という思いから、育休期間というこの先の人生の中で滅多にない貴重な時間のうちの少しだけでも、妻が自分のために過ごす数日があっても良いのではと、一人旅を勧めたのです。

一人旅と言っても壮大な冒険に出かけるわけでもないし、たった1泊、しかも宮城県内での旅行だったわけだが、一晩と翌朝の子どもの面倒を見るくらい、自分にだって全く問題なくできる。子どもからすると母親と父親の区別には大きなものがそれなりにあるとは思うが、彼らの生命を維持し危険を回避し安全に過ごすという最低限のことができれば保護者として何も問題ないだろう。

僕が唯一、子ども(2歳の上の子)から発せられる言葉のうち恐れるものがあるとすれば「ママがいい」くらいのものだ。まぁ、言われても意に介さなければ一晩などあっという間に過ぎる。

結局妻は宮城県内の温泉宿を選んだので、チェックインの時間までは家族4人で温泉宿の近くで遊んで過ごした。宿に子どもたちと一緒に妻を見送ってから、2人を車に乗せて家に帰った。車を走らせた直後こそ「ママと一緒がいい」というようなことを上の子は喋っていたけれど、ちょうどおやつを済ませた午後3時過ぎくらいの車中、やがて後部座席で寝息をたて、下の子も揃って寝はじめ、静かに家まで帰ることができた。

子どもたちを車に乗せて、妻のいるところから離れていくということになる車中は、なんだか自分としても新鮮な感覚だった。例えば同じように子ども2人を連れてドライブに出かけるとしても、どこかで引き返して妻のところに戻ってくるというようには、一時解散したとしてもやはり家族4人は常に行動を共にしているようなところがあって、しかし今回の自宅への帰路はたった一晩とは言え、彼らが自分たちの意思だけでは行動を起こして妻のもとに戻れないという側面も含めて、今までにない行動パターンをとっていたのだった。

帰宅して目を覚ましてからも上の子には何度か「ママはー?」などと聞かれて「今日はママ1人でお泊りだよー」などと受け答えしていたが、最終的には、完全にママじゃなきゃダメで泣きわめいてどうしようもないという状況にはならず、妻抜きの3人生活を無事に終えることができた。

子ども2人に夕食を与え、風呂に入れて、寝かしつけて、洗濯を済ませて夜を少し落ち着いて過ごし、下の子がミルクを欲しがって起きたらミルクをあげ、翌日は平日で仕事だったため、やがて自分も床に就き、子どもたちと父親だけでの朝を迎えた。

上の子が朝起きたとき、昨晩まで気になっていなかったけど目が覚めて「ママはー?」みたいなことにならないといいなーと思っていたが、それも問題なく朝の時間を順調にこなして、家も綺麗な状態で外出し、2人を保育園に送り届けて出社した。

妻は今頃1人で何を思って、どのように過ごしているだろうかと想像するのも楽しかったくらいだ。僕と子どもたち2人と過ごした少し緊張感のある夜だって貴重な機会だ。子ども2人見ててあげるから、たまには好きにしてきなさいというような、「してあげてる」気持ちでは全くなくて、妻には「こういう機会を作ってくれてありがとうね」という言葉をもらったけれど、僕としての正直な感情は、

 

こちらこそありがとう

 

と言いたい。です。家族の愛おしさに、きっと妻も、僕も、子どもたち2人も、みんな気がついたと思う。より強く。

旅から帰ってきた妻は、温泉宿の老舗の風情の美しさや、食事の美味しさ、温泉の素晴らしさを、自分なりの言葉で語ってくれたけど、なんだか1人で物足りなさを感じたかのような、そんな感じがした。

今度は、家族4人で温泉泊まりに行きたいね。

今度からお湯飲みます

土曜日、久しぶりに2歳の娘と2人きりで街に出掛けた。
たまには娘にも電車に乗る経験をさせてあげようと思い、
クルマはやめて二人で歩いて最寄り駅まで。
クルマで走ってしまえば5分もしないその道すがら、
娘にはたくさんの発見がある。
大人にとってはただの移動時間も、発見の連続。
目的地に早く着きたいために移動を手段と考える大人と、
目に見えるもの全てが観賞の対象である子ども。

娘のことを思うと、
時間を惜しまずにその全てに付き合ってあげたいが、
その先も考えて行って帰って来ての
全行程の最大公約数をとるべく
折り合いをつけるのが大人の仕事だ。
余裕を持った時間配分、
子どもの行動にいちいち注意しない心の余裕。
周囲の危険から子どもを守る危機察知能力と危険回避行動。
そして、時々自分も童心に帰って、一緒に感動する無邪気さ。

振り返ってみると気をつけなければいけないことはとても多く、
なかなかいっぺんに叶えられることではないが、
子どもの安全を最優先事項とするのが大前提だけど、
自分自身も楽しむことができる最高の遊びだと思う。

目的地まではたった一駅の乗車だったが、
空いた座席に座って外を眺める娘に、
眼前の光景はどのような記憶として
思い返されることになるのだろう?

この日は、僕の服を買うのに娘に付き合ってもらった。
服くらい一人でゆっくり選びたいと思わないでもないが、
まぁある程度決まりきったものを買う予定だったので、
娘と一緒に服の買い物ってどんな感じだろう?と
興味本位で一緒に来てみたところもある。

試着室は「かがみのおへや」ということにして、
一緒に入ってシャツやカットソーを着てみる。
娘に「パパはだかんぼ」と言われ、
娘もなぜか(というか当然か)真似して脱ぐ。

結局特に困るようなことはなく、普通に買い物できた。

娘に買い物に付き合ってもらったご褒美に、
2人でカフェでおやつタイムの約束をしてきた。
我が家も例に漏れず甘いものが好きな娘なので、
パン屋なりカフェなり、
お茶ができるところに行って
お店に置いてある甘いものは何でも食べる。

甘いもの、テイクアウトで買って、
家で食べれば飲み物代も安く上がるし、
金銭的にはその方が良いに決まってるが、
カフェで飲食するのは娘にもいい経験だと思う。

大人が座る席の間に潜り込んで、
サイズの合わない大きな椅子と机で食事し、
こぼさないように、散らかさないように、
お行儀よく食事することだったり、
周囲に配慮しながら過ごす時間だったり、
店員さんと言葉を交わすやりとりだったり、
そこに集う様々な人の様子を見ることだったり。
(まぁ、視線は眼の前のおやつにまっすぐなんですが。)

この日はパン屋併設のカフェに来てみた。
カフェに来たからといって、
まだ何かゆっくりと話し合ったりするような年頃でもないが、
小さな両手いっぱいで持ったフレンチトーストを
幸せそうに頬張るその表情を眺めるだけで、僕はお腹いっぱい。
多分、自分がその場で飲んでいるコーヒーがインスタントでも、
なんなら、きっとお湯でも気づかないくらい、
娘と2人でその場にいることが幸せだと思って過ごしている。
幸せなことに、その日はなんとかコーヒーの味も感じられた。

帰りの電車に乗って、歩いて帰って、
たった3時間くらいのお出かけだったが、
娘の楽しい思い出のひとかけらにでもなっていれば嬉しいが、
最悪、全部忘れられていたとしても、
あなたと過ごしたこのたった数時間だけでも、
自分は父になって良かったと思えるような、
瞬間の積み重ねを過ごさせてもらっているなと、
日々を振り返って本当に愛おしく思いました。